先生、ありがとう
何年も前の自分を思い出す。
指導力もさして無かったが情熱だけはだれにも負けないぐらいあったと思う。
毎日、授業が終わってからが、ある面、仕事が始まる。今日の授業で覚えてほしいと指示した箇所の小テスト作りと1か月の総まとめの月例テスト作成である。
帰宅はほぼ明け方となる。朝、帰宅して、ささっとご飯をビールで流し込み、眠り、ほぼ、仮眠状況で、お風呂に入り、着替えて出勤する。そんな日々が毎日続いたが、今となれば懐かしい。
しんどいなあと感じたことが無かったわけではないが、嫌ではなかった。
それは、その小テストや月例テストは自分の生の声で発したポイントで成立するものであり、これを覚えた子どもたちから「先生、成績上がったよ!」と笑顔で話してくれる私へのご褒美があったからである。
今は、本当にデジタルな時代が更に進化し、先生の仕事もある面、システマティックになってきている。この単元を教えれば、このテスト、と用意されている。確かに精査されたテストであるが、それではラポール(信頼関係)の構築は難しい。
先生が私のためにこのテスト、プリントを用意してくれたんだという厚意こそが、人を動かすんだと信じている。
私が何も指導したわけではないが、エイドネットのチューターの中には、そんなプリントを率先して用意してくれている人もいる。そこに物理的な報酬は発生しない。
でも、その実践を計算なくして、実行した人にだけ用意されている報酬がある。
「先生、ありがとう」
この言葉があれば何も要らないと本気で思える。