自分に刃を向ける
指導していて必ず陥る罠がある。
長年教えていても、その罠が待ち受ける。
それは、「どうして、これが覚えられないんだ!」「なぜ、これだけ説明してもわからないんだ!」という思いに入ることだ。
この思いとなったら、「あっ!罠だ!」と思ってほしいし、思うべきである。
あまり自虐的になりすぎても、悩みは膨らむ一方だが、「世の中に悪い生徒はいない、悪い先生だけが存在する」と思っていて丁度良いぐらいだ。
指導者はわかっている内容、覚えている内容を教えるのだから、ついつい、上から目線で生徒の気持ちに寄り添えない。そんな気持ちの先生に質問ができるだろうか?
自分はここが躓きの場所では無くても、他人は違うと言うことだ。
私は、そんな時、ドイツ語を勉強している時の自分の気持ちを思いだすようにしたものである。
自分が苦手な教科が無かった人ならわからないだろうが、当時、私は、どうして、男性っぽくもないものを男性詞というのだろう?などと意味不明なドイツ語を思ったものだ。
わかっている人には当たり前、そして、それは覚えなければ仕方ないなどと言われると、途方もなく膨大な記憶量を想定し、やる気が失せてくるものだった。
だから、理解できていないのであれば、教え方が悪いのだ、と思うようにしてみる。
そして、生徒が悪いのではなく、自分に指導の工夫の余地がないのか再検討してほしい。刃の矛先を自分に変えると変化が起きる。
指導の工夫の前に刃の矛先を変えるだけで、生徒の授業に対する向かい方の変化に気づく。それはやった人しかわからない。